「異変? アニソン歌手次々休業」というニュースを見て思ったこと。

僕自身がアニメがこれほど認知される前の時代(具体的には’80s)にアニメにハマったことがあったので、Yahoo!のエンタメトップニュースにあった「異変? アニソン歌手次々休業」という記事を目にした時、とても興味深いものを感じました(※すでにリンク切れてます)。
その他の記事も参照するとわかりますが、その趣旨はいわゆる「アニソン(アニメソング)」が、アニソン歌手ではなく声優さんによって大部分を占めるようになり、アニソン歌手はますます冷遇されているといったものでした。

そのリンク先に「最近のアニソンは、タイアップ曲か声優ソングが大半で、アニソン歌手の出番はますます減ってきています」という発言が載っていて、僕にはこの引用された発言にすべてが凝縮されているように感じました。

しかし、その記事には少し違和感も。
タイアップ曲か声優ソングが現在のアニソンの大半であるというのはそのとおりなのでしょうけれども、アニメにタイアップ曲が使われるようになっていったその過程をリアルタイムで見てきた世代としては、アニソン歌手の受難はタイアップ曲と声優ソングとの同時発生的な侵食の結果なのではなく、タイアップ曲による侵食があり、残ったパイにおいて必然的に発生することになった声優さんとの争奪戦によってますます駆逐されていっている、という流れで捉えたほうがより正確なのではないか、と。
つまりアニソン歌手の現状は、前者のような「状態」によって表現できるものではなく、後者のような「過程」によって考察する必要があるのではないかと考えたのです。

どういうことかというと。

もともとアニメーションの配給などに映像会社が加わっていることが多く(アニメはそれ自体映像ですからね)、ビデオやLD(当時まだDVDは無かった)の発売は映像を扱う会社と同じ系列のレコード会社であることがほとんどでした。ソニーやパイオニア、ビクターなんかがその代表ですね。
で、アニメ作品が一定の成功を収めるようになってくると、こうしたグループでは必然的に自分のレーベルの歌手のプロモーション活動の一貫としてその歌手に主題歌を歌わせるようになっていきました。そしておそらく、これが「アニメにおけるタイアップ曲」の始まりだったのだと思います。
例えばTMネットワークは「吸血鬼ハンターD」の劇場版主題歌を歌っていましたし(シティハンターよりも前ですよ!)、小比類巻かほるさんは「ガルフォース」のエンディングを担当していました。
そしていずれの楽曲も、タイアップしていたアニメ作品(の世界観)とは必ずしも関連はありませんでした・・・。

そして現在。
現在のアニメが生み出す経済効果を考えれば(それは当時のソレとは比較にならないでしょう)、「アニソン」を歌わない歌手がアニメとタイアップするのは多分当然のことでしょう。
また、作品側から見てもそのほうがアニメファン以外にもアピールできるポイントが生まれるわけですから、まさに互助的なつながりですよね。アニメの殆どは製作委員会方式で作成されるわけですから、リスク分散の観点から考えてもよりアピールの裾野が広い方が投資を回収できる可能性が上がりますし。
公開される映画のほぼすべてがヒットする名探偵コナンの主題歌なんかを見てもたぶんそうであろうことは想像に難くありません。

「歌手」というカテゴリで考えると、この流れにそって「アニソン」を歌う人はそうではない人(J-POPやJ-ROCKなどのいわゆる歌手)に侵食されていくわけです。だって知名度を考えてもビジュアルを考えても、多分テレビ用に作り出されているであろう後者のような人々のほうが、「アニソン」を歌う人よりもファン層が広いことは間違いないでしょうし。
当時との違いがあるとすれば、当時は「これから売り出したい歌手」のプロモーションとしてアニソンにタイアップしたのに対し、現在はすでにある程度の知名度がある歌手の持続的プロモート手段として使われるように思えることくらいでしょうか。
いずれにしても、アニソンというカテゴリにおいて、「アニソン歌手」以外の歌手が「アニソン歌手」の領域を侵犯し、その領土を奪うという構図には違いありません。

他方で、先にリンクした記事では、アニソン歌手の冷遇の現状は「声優」によってもたらされているという点が挙げられています。
これはタイアップとは違う側面から発生した事象のように見えますが、すでに指摘したように、僕は多分そうではないと思います。
アニソンにタイアップ曲が使われることが一般的になっていった結果、声優ソングが自然発生的に成長し、「アニソン歌手」の領域を侵食し始めた、と僕は考えています。

そもそもアニソンにタイアップ曲が使われるようになったのは、タイアップ曲を歌う歌手のプロモーションの一貫です。したがってその曲は必ずしも作品に即したものではありません。というか、作品のことなんか全く関係ないような歌であっても、タイアップしているというその一点だけで主題歌として扱われるわけです。
これはその歌手のファンや、アニメのことを知らない人を取り込むのに非常に有効な手段です。
しかしこの方法は、一般的な大衆にも受け入れられることが予想されるアニメには非常に有効な方法ですが(名探偵コナンはその典型だと思います)、いわゆるアニメファン(もっと率直に言えばアニヲタ)に対してはあまり効果を持ちません。
彼らは特定の作品に強い執着を持ちますが、その作品カテゴリは高度に細分化されているため、その分野に興味のない人から見れば「何が違うのかわからない」ような作品であっても、彼らから見ればそれぞれに他とは圧倒的に異なる個性(特異性)を認めるのです。

手っ取り早く言ってしまえば、彼らは作品の世界観やテーマといったものにのめり込むのではなく、記号化されたキャラクターが彼らを取り込むわけです。
こうした作品は、TVシリーズでも劇場版でもそれほど多くの観客動員を見込めるわけではありません。広く浅くではなく、一点突破のコアなファンにどれだけ貢がせるかで利益を上げなければなりません。

するとその楽曲はまさにそのアニメのためだけの曲として生成されることになるはずです(大衆受けする必要は無いから)。
とすると「アニソン歌手」はまさに水を得た魚?

ですが、残念ながらそうは行きません。
というのも、そもそも「アニソン歌手」なる人たちが歌うアニメソングとは、本来「その”作品”をある意味で客観的に紹介する主題歌」だからです。ヤマト、マジンガーZ、ガンダム、ドラゴンボール、セイントセイヤ・・・多くの子供(や大人もですが)を魅了した作品の主題歌を考えてみてください。

ところが現在のアニメを取り巻く環境に置いて通常の歌手の侵食から免れている領域に求められている楽曲は、その”作品”に対して与えられるのではありません。作品を歌い上げる必要はないのです。
なぜなら、その”キャラクター(達)”に対して与えられることによって、コアなファンに訴えかける戦術を取るからです。というより、取らざるを得ないからです。
なぜならコアなファンは細分化され記号化された特定のキャラクターに対して思い入れを持つため、”彼女ら”(決して”彼ら”ではない)を紹介する歌になっている方が都合がいいからです。

そしてもしそうであるとすれば、その歌はそこで歌われる”彼女ら”に歌ってもらうほうが戦略として優れています。自分たちが思いいれているキャラクターが歌う歌であれば、コアなファンは間違いなくその楽曲に対価を払ってくれる公算が大きくなるのですから。
彼女らが彼女らの世界観の中で彼女らのことを歌い上げるわけです。けいおんやらきすた、俺妹やみなみけなんかがその典型と言えるのではないでしょうか(作品に偏りがあるかもしれませんが・・・)。

したがって、「アニソン歌手」は従来的な意味でのアニメファンの延長線上にある領域でも、そのアニメのキャラクター(つまり声優)とパイを奪いあわなければなりません。
そして、むしろこちらのほうが勝ち目のない戦いとなるわけです。

タイアップ曲であれば、アニソン歌手がそれを歌うことで自らのプロモートとできる可能性が無いわけではないでしょうが、この分野でアニソン歌手がパイを奪うには、アニソン歌手自らがキャラクターにならざるを得ないからです。
しかし、それをしてしまうとアニソン歌手は声優となり、彼らの歌う楽曲は引用先で紹介されている「アニソン」ではなく、「声優ソング」になってしまうわけです。まさにミイラ取りがミイラに・・・ですね。

アニソン歌手は、特定のファンのものであったアニメが一般作品としての地位を確立すると同時にタイアップ曲による侵食を受け、残されたアニメファンの領域に置いてもアニメファンのあり方が変わったことで声優ソングからも侵食を受ける。
それはアニメのレーゾンデートルが時代とともに変遷してきたことによる、「アニソン」のあり方の変化の流れの中で、ある意味で帰結主義的な結論なのかもしれません。

言い換えれば、参照先で言及されている「アニソン歌手」が’80s(つまり僕が子供の頃)に見ていたアニメの主題歌を歌っていたような人たちを指しているとすれば、そうした「アニソン歌手」はその存在がアニソンを取り巻く環境の中で非常に中途半端な存在となってしまっているのではないでしょうか。
リンク先では「アニソンに携わるプロたちは、今日も夢を歌に託して歌い続ける。アニソンを歌い続けることをなりわいとする彼らが正当に評価され、より多くの活躍の場が与えられることを願うばかりである」と締められていますが、アニメの主題歌だからアニソン、という考え方に与すれば彼らの活動領域は他の二つの勢力に侵食される一方でしょう。
しかし彼らなりの「アニソン」を定義するならば、彼らでなければ活動できない領域を、それがいかにニッチなものであったとしても、生み出すことができるのではないでしょうか。
例えばNHK教育といったジャンルでは「アニメの」では無いかもしれませんが、従来的な「アニソン」と同様のスタイルが求められる歌があるように思います(もちろん僕は音楽に疎いので本当にそうかどうかなんてわかりません。あくまでイメージです)。

リンク先で願われている活躍の場は、「アニソン歌手」が自らの活動領域(適合領域)を拡大することで手に入れることができる、そういうたぐいのものなのかもしれません・・・。

なんてことをふと考えてしまったのでした。

ちなみに、僕は現在のアニソンを取り巻く環境に格段思うところがあるわけではありません。作品と何の関連もないタイアップ曲にうんざりすることはあっても、資本主義である以上、市場を意識しないわけにはいかないのですし、理解は示すようにしています。
ただ、アニメの声あてに無理やり芸能人をねじ込むことはやめて欲しいです・・・(~_~;;

※これだって市場経済の結果なんでしょうけどね・・・;-p

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