ちょっと疑問に思ったこと@電車

私は現在電車通勤をしています。
で、電車の中では大抵文庫本を読んでいるのですが、たまーに妙に文庫の文字が読みづらい時があり、なんでだろう?と疑問に思っていました。
で、その謎がようやく解けたんですが、その疑問が解けた途端に今度は別の疑問が。

さて、その文庫が読みづらくなっていた理由ですが、近頃の電車って「節電」という名目で、電車の中の照明(蛍光灯)を一部外しているんです。
で、自分がたまたまその外された場所にいると、手元が妙に薄暗くて、文庫本の小さな文字がとても見づらくなる、という寸法でした。
それでも、たとえば山手線とか、普通に外を走る電車なら(昼間は)さほど問題にはならないのですが、地下鉄でやられてしまうとたまりません。
窓からの採光を期待できないため、蛍光灯を外された場所に立ってしまった(座ってしまった)場合はもう本当にどうしようもないんです。
しかも、電車って揺れるからますます読みづらい・・・。

なので最近は電車に乗ったらまず天井を確認して、照明が切り取られていないところに行くように心がけています。
なんか、変な話ですよね。

で、ここから新たな疑問が。
「節電」しなければならないのは、なんとなく理由は分かります。世の中が無責任に脱原発(全ての原発を停止せよ)のムードに押し流され、電気を大量に使うのは(仮にそうする理由があったとしても)非難されるべき事柄として認識されている、という現状でしょう。
それでもオール電化やプラグインハイブリッド、電気自動車がエコなんだという理由がよくわかりませんが、まぁそれは別の話なのでおいといて。

さて、そんなわけで電車も一生懸命「節電」に励んでいる(のでしょう)わけですが、この節電によって電力消費は押さえられるのかもしれません。それがどの程度効果があるのかは分かりませんが、一応使う電気の量は減っているんでしょう。
「節電」なんだから、それはそれでいいことなのかも知れません。

でも。

電気を消費することでサービスを提供する鉄道会社が、消費する電力を減らしたということは、つまり原価に当たる部分(コスト)をそれだけ押さえることができている、ということですよね。
しかも、そのコスト削減の負担は先に私がのべたような、利用者への不便という形で行われている、もっとはっきり言えばサービスの質を低下させることによって、それを利用者に押しつけることによって達成しているわけです。
しかし、利用者は当然の(というか、通常の?)サービスを享受できていた時と同じだけの利用料を、そのサービスを受けられなくなって以降も払って利用するわけですね。
要するに、鉄道会社が得るベネフィットは、「節電」する前も「節電」した後も基本的には変わらない、というわけです(もちろん相場変動等で増減するのでしょうけれど)。

入ってくるお金は(基本的に)変わらない。出ていくお金は「節電」というサービス低下の免罪符によって減らすことに成功している。
ということは、その差分は利用者に還元されて然るべきなんじゃないのかと。。。

もちろん利用者に還元できるほどのコスト削減になっていないという可能性もあるでしょう。しかし、だとしたらその「節電」って、そもそも電力消費量を減らす効果もさほどのものではない=つまりやってもやらなくてもほとんど変わらない、ということになるんじゃないかな?

ってことは、なにか?
一連の「節電」運動によって、鉄道会社ぼろ儲けってことですか?

なーんてことを、読みづらさにたびたび中断される車内での読書の合間にふと考えちゃったりしたのでした。

・・・みんなはどう思っているんだろう?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)