第1回 復興支援の旅2 宮城県→福島県

翌日。

今日はいよいよ震災被災地のまっただ中、南三陸町志津川地区を訪れます。
はやる気持ちがそうさせるのか、目覚ましよりも早く目が覚めて、復興支援の旅二日目、スタートです。

今回の宿泊は1泊2食付きのプラン。
朝食は7:00AMでお願いしてあったのに、6:00AM前には目が開いてしまっていたので、まずは朝風呂に行くか・・・とお布団から出ます。

そしてカーテンを開けて空の様子を確認すると・・・やった!青空だ!

ココロ軽やかにお風呂に向かいます♪

お風呂は二つあって、昨晩は岩風呂の方に入ったのですが、これがなかなかに気持ちよく。
そこで朝風呂もそっちにしようと思っていたら、残念ながら岩風呂はお休みでした(理由は不明です)。そこで他方の内風呂に入ったのですが、残念ながらこっちはいわゆる民宿のお風呂といったカンジで、くつろぐのはちょっと・・・かな?(笑)
幸い朝風呂も貸切状態だったので問題は全くなかったのですが、こぢんまりした浴室でシャワーが一つ壊れていまして・・・。入浴者が重なったら、ちょっとせわしなくなったかも。

それでも足を伸ばして湯船につかれるのはありがたいモノ。昨日の疲れの残りを湯船でゆっくり溶かし出し、さっぱりしたところで朝ご飯に向かいます。

朝ご飯は昨晩宴会場になっていた大広間でした。見渡してみると、ちらほらと一人客の姿も。壁に復興に掛ける思いをつづった旗がかかっていたのが印象的でした(恥ずかしがらずに写真を撮っておけばよかったと後悔)。

さて、気を取り直して。
これが朝ご飯のメニューです。嬉しいことに、朝食予約の時間にご飯が炊きあがるようにあらかじめお釜に火を入れておいてくれます。
席についた途端に目の前に炊きたての熱々ご飯!(^ ^) うまいっ!
お釜だと一人分の分量が決められてしまうので若い人には物足りないかもしれませんが、すでに青年の域を脱している中年の僕には十分すぎるくらいの量でした。

かろうじて残すことなく平らげたら、一度部屋に戻ってちょっとだけのんびり。そしたら、出発の準備を整えます。

観光旅行ではないとは言っても、大変な思いをしてやってきたここは岬の突端。
せっかく来たのですから、海の姿も見ていきたい!宿の女将さん推薦のスポットが近い(徒歩15分ほど)って紹介されてたし!!
満腹で膨れ上がった(?)お腹を落ち着かせるためにも、散歩がてら陸地の終わりまでぶらついてみることにします。

そうと決まれば荷物をまとめてチェックアウト。
その手続きの時に相談したところ、荷物とバイクを預かってくれることに。これで安心して散策できます!

D80を片手に、足取り軽く(?)いざ出発です。

昨晩は目にすることができなかった、「ニュー泊崎荘」の全体。
お世話になりました〜(ってゆーか、まだお世話になっている最中ですが)。

宿の方のお話によると、ここは高台なので津波の被害は免れることができたそうですが、少し坂を下ったところはまともに津波に飲まれてしまったとのことでした。昨日のガソリンスタンドがあったあたりは、ほぼ壊滅だったそうです。

それはさておき、まずはテクテクと女将の一押しスポットを目指して歩き出します。

ちょっと曇天なので薄暗い印象を受けますが、一本道の道中は比較的のどかな風景が広がっています。しかし、よく周りを見渡してみると。

すぐ反対側には震災の現実が。
これは、昨晩宿に電話するためにRVFを駐めた仮設住宅とはまた別の仮設住宅。おそらく二つの場所は距離的にそれほど離れてはいないでしょう。そんな頻度で仮設住宅を眼にするのです。
仮設住宅に入れた人たちは命があっただけでもよかったんだ、なんて意見もあるようですが、実際に仮設住宅で生活している様を見てしまうと決してそんな言葉は口から出なくなります。
彼らが仮設住宅の簡素な玄関から外に出るというただそれだけの仕草にも、普通に洗濯物を干すというその日常行為の中にさえも、何とも表現できない悲哀が漂っていました。
ここは僕らにとっての当たり前が、冷たく行われている色のない世界。それは、テレビやネットニュースを通してでは知ることのできない光景でした。

そんなことを考えながら歩き続け、やがて見えてきました。

おかみさんのお薦めスポット、名勝 尾崎です。
鳥居をくぐると奥にひっそりと神社が建っています。

湿り気を纏った空気の中にひっそりと佇む神社。これがおそらく尾崎神社だと思います。
それにしても、霊験あらたかな印象を受けます。周りに人の気配を全く感じないことも、その印象に一役買っているのでしょう。
なお、鳥居をくぐってからこの神社にたどり着くまでも、この神社から眼下に大海原を見渡せる場所に出るまでも、「本当にこれが道?」というような獣道や、鬱蒼とした林の中を通ります。

神社を抜けたその先で眼にすることのできる絶景こそが名勝 尾崎。

打ち寄せる波の音が、ことさら大きく響きます。周りにそれを遮る音が何もないからです。

名勝 尾崎は切り立った崖の上にから太平洋を一望できるスポット。でも、女将さんの話によるとこの崖も津波でかなりえぐり取られてしまったんだそうです。
津波の力、恐るべしです・・・。

尾崎からの眺めを30分ほど楽しみましたが、時折海の上に薄い日の光が落ち、波にキラキラと反射していました。

太平洋が描く水平線のゆるやかな弧を、力強く寄せては返す波の音を聞きながら眺めるのは気持ちの良いものですが、岬(というか、崖)の突端は強烈な海風が吹き荒れ、ここまでの散策でかいたうっすらとした汗を完全に消し去ります。
そしてその次に訪れるのは、寒さ。
体を突き抜ける海風に、身震いしてしまいます。時間的な関係もあるので、そろそろ尾崎を後にしましょう。

うっすらと赤く色づいた葉に迫りくる秋の気配を感じながら、来た道を戻ります。そして15分ほどで宿に帰ってきました。
RVFが静かに出迎えてくれています。・・・でも、タイヤが真っ白だ・・・(^ ^;;

受付に行って荷物とバイクを預かってもらったお礼を伝えてから、自動販売機で飲み物を買って一休みさせてもらおうかと座り込んだその時。
なんと女将さんがコーヒーをごちそうしてくれました。海風で心底冷やされた体に温かいコーヒーが染み渡ります。
しみじみ、うまぁ〜い・・・(^ ^)

さて、いただいたコーヒーで一息入れることもできたので、再びお礼を言っていよいよ出発です。前回の教訓を生かし、今回はまずキルスイッチがRUNになっているかどうかを確認(笑)

暖気もかねて先にエンジンをかけ、その間にシートバッグを固定。地図を見ながら、とりあえず幹線道路となる国道45号線に向かっておそらく昨晩通ったであろう道を逆送します。
昨晩は闇に隠れて目にすることができなかった周りの様子。一体どんな中を走り抜けてきたのだろう?

暖気も済んだRVFを駆って坂を下り、国道45号線に向かったその先で眼にした景色は・・・。

この壊れた塀は、RVFの薄明かりで目にした覚えがあります。しかし、その塀の向こうには本来あるはずのものが何もありませんでした。初めからかなり衝撃の強い景色が襲ってきます。

次々に現れる、破壊された街並み。大きながれきが一箇所に集められているのは、その限りにおいて復興への準備が始まっているということなのでしょうか・・・。

そこにあったであろう部屋が何だったのかがわかってしまう場所は、それだけでそこにあったであろう生活をイメージできてしまい、より一層切なさが増します・・・。
ヨードチンキのような瓶が置かれていましたが、がれきの撤去で傷を負うかもしれない人々への心遣いなのでしょうか。それとも逃げる際の目印としておいていったものでしょうか。

ありえない位置の角材。津波が運んできたものなのかもしれません。倒壊した家屋の甍が波をなす中で、スズメが二羽佇んでいました。彼らも帰る家を失ってしまったのでしょうか。
それでも、積み上げられたがれきを横目に、草花は日々成長し、綺麗な花を咲かせています。国破れて山河あり、という句はこのような景色を目の当たりにして読まれたものなのかもしれません。

家の中に普通ならありえないものが入り込んでいて、もうどのように表現したらいいのか。貧困な語彙に、心底情けなくなります。

ところでこの辺りを撮影していたら、地元のおばあさんから声をかけられました。
残念なことに聞き取れない表現(方言)もありましたが、前後の文脈などをつなぎ合わせて理解した限りでは、おばあさんのご家族は無事であること、上の写真左はおばあさんの家の水田だったが海水でもう使い物にならないこと(でも山の上にも同じくらいの広さの畑があるので当面食べるには困らないこと)、大きながれきは集めてもらえたが、細かいモノは集めてもらえず途方に暮れていることなど、今そこに暮らしている人でなければわからないことを数々教わりました。

元の生活に戻る妨げになっているのは、家でも畑でも大きながれきではなくむしろ細かく入り込んだ様々なゴミなんだそうです。それをどう拾い集め、どう分別するか。その問題をクリアしなければ、復興などできないとも。
部外者の僕の目には「結構がれきは除去されて片づき始めているのかも」と映ったその景色は、現地に暮らす人にとってまだまだ道半ばにすらなっていなかったのです。
現地に行かなければわからないことを知る、この旅の意義をここに見た気がしました。

山側から視線を反対の海側に向けても、見えるものはほとんど変わりませんでした。そこにあるのは、廃墟と瓦礫だけの世界。

漁港の施設は大きく破壊され、高台をなしていたであろう大地は深くえぐり取られています。
もとは土の下に隠れていたであろう木の根が露わになっています。

地震と津波で浸食された海岸線は、その景色を大きく変えてしまっています。船着場だったと思われるその設備には今や船を寄せることすらできないようでした。防波堤が津波で破壊されたからなのか、それともたまたま今日は波が高かっただけなのかわかりませんが、岸壁に波がぶつかって高く飛沫を飛ばしていました。

所々に見られる大きく深い水たまりは、津波がえぐった後なのか、それとも地盤が沈下したことによる満潮の浸水でしょうか。
そのだだっ広い場所を見下ろしていた時に目に留まったのが、見慣れたセールスドライバーの車。ドライバーは無事だったのでしょうか。ほんの一時ですがその企業に勤めていたことがあるだけに、心中複雑です。

舗装されていたはずの道路はいたるところが未舗装の砂利道に変わってしまっています。しかし海岸線はさらにひどいことに。あらゆる人工物が海の中に沈みかけています。陥没・・・というよりも、もう完全に崩落といったほうがよさそう。

未舗装路はRVFには酷だな・・・と思う間もなく、走ることのできる道がひとまずできているだけでも奇跡なのではないかという気にすらなってきます。

海岸線から少し離れたところに移っても、いたるところに船の残骸が。
その場所から海を眺めてみれば、これが津波で運ばれてきたことは容易に想像がつきます。この場所から船を引いて海へ出るのは現実的ではありませんから。

海から離れたさらに先には小学校が。
その入り口に大時計が設置されていましたが、それは3時25分で止まっていました。津波が押し寄せてきた時刻ではないかと推測されます。生徒や先生は皆無事に避難できたのでしょうか。献花台のようなものはなかったのできっと大丈夫だったのだと思います・・・というか、そう信じたい。

さて、完膚なきまでに破壊された廃墟を後に、僕はここから国道45号線を目指します。国道45号線を南下し、今回の旅の一番の目的地である南三陸町志津川へ進むわけですが、もしかしたらそこにも、ここと同じか、あるいはそれ以上の惨状が広がっているのかもしれません。
そんなことを考えながら、地図上で確認した国道45号線を南下し始めてすぐ。

・・・ない。

ないんです。
まっすぐに続くはずの国道45号線も、その国道45号線と並行し、またまたいでもいるはずの高架も、なくなっているんです。
目に映っている線路はおそらく気仙沼線。そして、少し先に見える駅は、おそらく清水浜駅だと思われます(地図の情報と自分のいるであろう位置と照らし合わせた限りでは)。
テレビのニュースが気仙沼線は復旧のめども立たないというようなことを伝えていましたが、この現状を見ればその意味が痛いほどわかります。

度肝を抜かれた、という表現が適切なのかどうかはわかりませんが、とにかく言葉が出ませんでした。

幸いにも迂回路への案内は整備されており(と言っても立て看板があるだけですが)、この場所を過ぎて再び国道45号線に戻れたのですが、事前に地図で確認しておけば間違いないというのはあくまで平時でしか通用しないということを痛感させられる出来事でした。

剥がれ落ちた道路と、崩れ落ちた線路。
残存する部分を生かして同じ場所に同じように線路や道路を通せば、同じ規模の震災が起こったときに同じような被害が発生します。
かといって、新たなルートで工事をするには色々と(権利や利権がらみの)問題が多いようです。
こうした人的理由も、復興の足かせになっているのかもしれません。
ただ、いずれにしてもローカル線は沿線住民のまさに足であると聞いたことがありますから、早い運転再開を望まずにはいられません。

テレビのニュースが伝える表層的な印象だけでは知りえないことも、現場に行けば嫌という程理解できるということがよくわかりました。この衝撃を体験できただけでも、少なくとも僕にとってこの旅は大きな意味のあるものだったということができます。

とすれば、きっとこれから訪れる南三陸町志津川地区も、テレビで見たり聞いたりしただけではピンとこないものも、突き刺さるように感じ取ることになるのでしょう。

そんなことを考えながら清水浜を後にし、迂回路を通って再度国道45号線に合流、南下を続けます。
そして到着しました。南三陸町志津川地区です。

いきなり衝撃的な景色に出迎えられます。ボディブローの衝撃ではなく、いきなり顔面へのストレート級の衝撃です(ボクシングの経験はありませんけど・・・)。

建物施設や車両の残骸も痛々しいのはもちろんなのですが(自分のフリードハイブリッドやRVFに置き換えたら、身を切られる痛みでしょう)、それでもやっぱり人の生活に溶け込んでいたもの、日用品や身の回りのものの残骸はさらに強烈に心に迫ってきます。
・・・結構キツいです・・・。

献花施設になっていた(らしい)志津川病院には、身内の方でしょうか、献花に訪れる人の姿がありました。
近くにある商業施設は、天井付近の店舗看板は一部が崩れ落ち、その一階にはありえないものが転がり込んでいました。

病院脇のボンベも、商業施設脇の垂れ幕用のガイドも、折れて壊れています。この曲がり方や壊され方は地震の揺れによるものではなく、間違いなく津波によるもの。
破壊され押し流されたものがたくさんある中で、かつての場所にとどまっているこれらのものが、より一層津波の怖さを物語ってくれます。

ここ南三陸町志津川でも、大きな瓦礫は取り除かれ、一箇所にまとめあげられていました。
しかしすでに見た生活雑貨のような小物はまだあちらこちらに点在し、それよりも小さな瓦礫の破片などは全く手付かずで、これからの道のりの長さを感じさせます。

しかし、パンドラの匣から最後に「希望」が出てきたように、壊滅的な被害を受けたこの地にも、それに類似したものを目にすることができました。

花は咲くんですね、こんな状況でも。

そして。

ライフラインを支えるために、半ば崩れ落ちた店舗で営業を開始したガソリンスタンド。
ええ、もちろんここで給油しましたとも!
そして。
遠方から来た人たちでしょうか、それともこの地を一時的に離れた人たちでしょうか。
南三陸町庁舎前に、マイクロバスで多くの人が訪れていました。気持ちもまなざしも、間違いなくこの地に向けられているのでしょうし、その間は復興が進んでいくに違いありません(真の問題は、それがいつまで向き続けるかということなのですが)。

ところで、復興支援の旅と言いながら、現地を見て回るだけでは直接的な意味での復興支援になりません。温かい言葉をかけるだけでは、現地の人々のお腹は膨れないのですから、とにかく現地で予算が許す限りたくさんお金を使うこと。
これこそが、個人レベルでできる、もっとも直接的な復興への支援だと思っています。
そこで今回の旅では、「南三陸町で水揚げされたサンマを購入する(そして東京へ発送する)」ことを計画に組み込みました。というのも、ちょうどこの旅に出る直前に、新聞で南三陸町のサンマを購入して復興を支援しようという企画が載っているのを目にしたから。
港町ですから、現地の水産物を購入するのはいいアイディアですよね!
新聞に掲載されていたその企画はファックスで購入する通販システムでしたが、せっかく現地に行くのです。これはもう現地で直接購入するしかないでしょう!

そう決意したのはいいものの、どこでサンマが購入できるのかわかりません。そこでこれを企画した会社に問い合わせを試みたものの、残念ながら電話は繋がらず。賛同して問い合わせている人が多いのかも?

なら行ってみればわかるさ、と気軽に(?)ここへやってきたのでした。

運のいいことに、今朝ニュー泊崎荘で拝見した朝刊にも、ボランティアの力を借りて南三陸町志津川地区に新しい魚河岸がオープンするという記事が載っていました。
ということは、そこでサンマを購入できるじゃん、と(ちょっと安易に)考えてました。

しかし、現実というのはそれほど甘くありません。

残念ながら南三陸町志津川地区にはその新しい魚河岸はありませんでした。というのも、その魚河岸というのがなんと、僕がここを訪れたその翌日のオープンだったのです・・・orz

しかし、ここから次の立ち寄り地の仙台までの間には石巻という大きな港町がありますし、松島だってあります。それに、仙台だって立派な港町のはず。
なら、道中に見つけた魚市場や鮮魚店で購入すれば、ソレだって立派な復興支援になるはずだと気持ちを切り替えて、南三陸町志津川を出発し、さらに南下することにします。

ひとまずは石巻を目指しましょう。
地図で確認した限りでは国道45号線をひたすら南下すればいいだけですから、迷うことはないはず。

・・・そう、地図上では、ね。

現実には、国道45号線は土砂崩れによって途中完全に通行止めとなっていました(これは経験済み)。
しかし困ったことに、道中目にする道路案内標識にはなぜか石巻の文字がないのです。
どこをどう行けばいいのか分からず、スマホで位置を確認したり地図を確認したりしながら右往左往することしばし。
どうやら三陸自動車道に乗ることができれば、松島の辺りまでは無料区間のようです。
よし、それでいこう!

迷子になりながらも現在地の最寄りにあった桃生津山ICから三陸自動車道に乗ることができ、そのまま石巻市に直行します。
石巻、と名前の付くICが出てきたところで注意しながら走っていると、石巻港ICというインターチェンジを発見。
石巻港というくらいですから、きっと港があるに違いありません。そこならサンマが手にはいるはず!

と勇んで下りたのですが、実際に石巻港の案内表示に従って進んでいくと、そこはどうやら漁港ではないようでした。また、おそらく地震と津波による被害もあるのでしょう、途中道路は波打ち、結局港はおろか海を見ることもないまま、その手前で石巻港に行くのは断念せざるをえませんでした。

ところで、石巻港を求めてさまよっていたときに、何気なく道路脇のスペース(体育館か公民館だと思いますが)を見たら、そこには「遺体安置所」の文字が。そしてその下には、「写真撮影はご遠慮ください」と。

まだご家族の元に戻っていない(或いは戻るご家族のない)ご遺体が安置されているのかと思うと、RVFでその脇を走り抜けることに少なからぬ罪悪感を覚えてしまいます。復興支援という意識はあるものの、はたから見たらただの観光ですから・・・。

そんなこんなで結局石巻でもサンマの購入は諦めざるをえませんでした。

しかしここでグダグダしたところで何も解決しません。
もうこうなったら、すでに通行可能になっていた国道45号線で松島を通り抜け、一気に仙台まで進んでしまうことにします。もちろん、道すがらに鮮魚店などがあれば立ち寄るつもりですから、ペースは少し落として周りを注視しながらの走行です。
が、残念ながらサンマを入手できそうなお店は見当たらず。
無念ですが三陸沖のサンマの購入は今回は見送ることになりそうです。むぅ。

そうして辿り着いた、東北きっての大都市、仙台。
都市部に入った途端に一気に人も車も増えたように感じましたが、それもそのはず。
すっかり忘れてましたが、今日は日曜日だったんです。そして時間はちょうどお昼どき。
人が出ていないわけがないのです。

慣れない道を渋滞にはまりながら、グーグー鳴るお腹を抱えてなんとか仙台駅前に滑り込みます。しかしここからが大変。
バイクはどこに停める?
荷物はどうする?
今どの辺り?
どこで食べる?
お店までどうやっていけばいい?

・・・考えることは山積みです(T_T)
とりあえず解決できるところから片付けていきましょう!
まずは食事するお店。
これはリアルタイムBLOGのコメント欄で教えてもらった「利久」さんで決定していますから、クリア!お店の場所もスマホで確認済みなので、これもクリア!

となると、次は駐輪場!

日曜日だからなのか、仙台駅前はやたらとお巡りさんが立っています。そこでRVFを緩やかに進めながらお巡りさんに近づき、バイクが駐められる駐車場を教えてもらうことにしました。

お巡りさんは(親切に?)教えてくれたのですが、お巡りさん、私は地元の人間じゃないんです。あっちとかこっちとかそっちとかではわからんのですョ・・・(^ ^;;

結局迷子になりながら仙台駅前を何回か行き来し、某大手スーパーの平面駐車場を発見。特にバイク不可とは書いていないので(バイク可とも書いてなかったけど)、この際ということでそこに泊めさせてもらいました。
もちろん、きちんとゲート入り口から入り、駐車券を受け取りました。駐める場所はどうしようかと思ったのですが、車のスペースをふ さいでしまうのも申し訳ないかな?と思ったので、脇の空いている場所に駐めました(駐車券の枚数で台数を管理しているでしょうからあまり意味のない行動か もしれませんが)。

荷物は・・・旅先でまさかかっぱらっていくやつもいないでしょう。RVFに積んだままにして、貴重品だけ持っていくことにして、これもクリア!(笑)

それでは仙台名物を食べに、利久さんへLet’s Goです♪

お店の暖簾をくぐったのは14:30を過ぎたくらいでしたが、ラッキーなことにまだランチタイムでした。
おかげで、かなりお得なランチタイムメニューでいただくことができました(^ ^)
大満足♪

念願の牛タンをたっぷりと味わって胃もココロも満たされたところで、利久さんを出ます。
せっかく仙台まで来ているのですから、この東北一の大都会を少しぶらついていきたい!けど、これからまだ先が結構長い!
今日の宿は福島県の表磐梯で取っていて、しかもチェックイン予定を19時で伝えてあるので、それまでにはそこにたどり着きたい。となると、ここでそんなにゆっくりしてもいられないんですね。
さらに、事前に計画しているルートが下道で作成されていたこともあって(東北道は行きですでに走っているし、帰りにもまた走ることになるので敢えて避けました)、それなりに時間がかかるであろうことが容易に想像できるため、仙台の街を散策するのは諦めることに。
本当は食後のデザートで仙台銘菓「萩の月」・・・の予定だったのに(笑)、立ち並ぶショップを足早に通り抜け、まっすぐにRVFを停めさせてもらった駐車場に戻ります。

さてその駐車場。
ここの支払いは現金のみのようなので、小銭を用意して出庫ゲートに向かいます。ゲートで駐車券を入れると、ナゼかエラーが。どうやらこの駐車券は無効なんだそうです。
このまま脇から出ちゃう?と一瞬良くない考えが頭をよぎりましたが、対価はきちんと払わなければいけません。
なのでRVFをゲート脇に避け、インターフォンで管理者に連絡をとります。

そして待つこと2~3分。警備員がやってきたので再度事情を説明し、所定の金額を支払いました。ここでこのままゲートを通してくれれば問題なかったのですが・・・。精算が終わっていざ出発しようかという段になって、やれバイクは駐められませんとか、ナンバーを控えさせてもらうとか言い始めました。

バイクであることは事前に説明しているのですから、そうした措置が必要ならその時に言えばいいものを、わざわざ手続きが終わってから言い出したのがはっきり言って気に入りません。
これが東京での出来事なら怒鳴りつけて一戦交えるところですが、旅先でそんなことをしても後味が悪くなるだけなので、ナンバーを控え終わったのを見届けたらアクセルを煽ってこんなところとはおさらばです。

でも、こうした一つ一つがその街の印象を悪くしてしまいますよね。旅行者にとってはその一回がその地を訪れた思い出の全てになることもあるのですから。
わかりましたか?ダ○エーさん!

少しだけ嫌な気持ちを引きずりつつ、いよいよ今日の目的地である福島県表磐梯に向けて出発します。
切り替えていこう!

仙台からは国道4号線を南下していけばOKっぽいので、ひたすら国道に沿って走り続けます。
この国道4号線上のいたるところに「仙台バイパス」なる道が案内されていたのですが、困ったことにこのバイパスがどことどこをどのように結んでいるのかがわかりません。バイパスなのできっとまた国道4号線に戻れるのだろうとは思うのですが・・・変に逸れて迷子になると余計に時間を食うことになりますし、そのことによって気持ちに焦りが出るのも危険です。
多少狭くて信号が多くても、このまま国道4号線とある今の道を南進することに。

一般道なので流れはイマイチな具合でしたが、他方でちょっといいことも。
途中に通った名取市のコスモ石油で給油したのですが、周りのスタンドの金額表示よりも格段に安い金額でガソリンを満タンにすることができたのです(^ ^)
レギュラーなのでブランドごとの違いは(建前上は)ないはず。安く入れられたという嬉しさをかみしめつつ(笑)ガソリンスタンドをでます。

しかしこのあとしばらくして衝撃の事実が!!

名取市に入ってからしばらく進むと・・・。
ななななんと、国道4号線はもう一つの国道4号線とぶつかっていたのです。そしてそのもう一つの国道4号線こそが、先の仙台バイパスだったのでした・・・orz

ま、ガソリンを安く入れられたからいいか・・・。

僕が走ってきた一般道の国道4号線はバイパスに合流した途端にそれまでの渋滞・ノロノロペースが嘘のようにハイペースで流れるようになりました(つまりバイパスに入っていればこのペースでここまでこられたということです)。
そして白石市に入ってからは東北自動車道と併走するようになり、そのままその一本道を快調に進みます。そしてもうじき福島県に。

福島県に入って最初に左側にあるコンビニでちょっと休憩しようと考えていたら、福島県と宮城県の県境(当然福島県の、です)、国見町に入ったところでちょうどセブンイレブンを発見。
仙台から国見まで休憩なしのノンストップで駆け抜けてきたのでさすがに疲れが・・・。
ちょっと用を足させてもらって、それからミネラ ルウォーターでちょっと一息入れることに。コーヒーやお茶はちょっときつくなってきたので・・・。

国見のセブンイレブンで一枚パチリ。

このときの時刻は16:40。もうだいぶん空も暗くなってきました。雲に反射する夕日の赤がきれいでしたが、コレが見えると言うことは、この後はドンドン暗くなっていく一方と言うことなワケで。。。

南三陸町歌津もそうでしたが、初めて走る道が夜道なのはちょっと厳しいんですよね・・・(^-^;;

それでも休憩はきちんと取らないとどんな影響が出るか分かりませんから、沈みゆく夕日に照らされるRVFを見ながらミネラルウォーターを飲み、ハイウェイウォーカーでルートを再確認です。かろうじて陽の光で地図がまだ読み取れます。

そんな具合に過ごしていたら、全く知らないドライブ中(?)の人から「NC35ですか?」と話しかけられました。

なんでもRVFのナンバーを見て、自分の家がある住所だったので話しかけてきたそうです。実際話してみたら、その方の家とうちの実家は目と鼻の先。世の中って、狭いですね(笑)

それにしてもRVFで旅をしていると、本当にいろんな人から話しかけられます。バイクがいいのか、ライダーがあまりに人の良さそうな顔をしているのか・・・(~_~;;

のどの渇きを癒してルートを再確認したら、再び出発です。
日が落ちればきっと寒くなるに違いないとふんで、この時点でレインウェアを着込みます。結論から言えば、これが大正解。
最後に走った国道115号線は、そりゃーもう寒いの何のって。

さて、国道4号線を進み、国道115号線にぶつかったらそれを右に曲がり、猪苗代方面に進む。これが今日残されたルート。
そう意識しながら走り続け、福島市に入って国道399号線を超えると・・・見えてきました、国道115号線!さぁこれを右折・・・!?

見えてきた国道115号線との交差点は、ナゼが丁字路。どうしてだ??国道115号線は猪苗代方面にはのびていないのか??

おかしいなと思いつつもう少し先に進んでみると、現れたのは国道114号線。しかしこれも丁字路。その月は国道13号線。これまた丁字路・・・。一体どうなっているんだ??

もしかして見落としてしまったのだろうかと不安がよぎります。
ところで国道13号線のすぐ先は阿武隈川を渡る橋で、地図で位置を確認するにはもってこい。とりあえずRVFを路肩に駐めて、スマホで確認すると・・・(このとき現在位置を探るのに橋などはとても便利なのです。GPSはいつも無効にしているので)。

阿武隈川を渡り、さらにもう一度阿武隈川を渡ったその先に国道115号線の右折があるようです。このように同じ道路が互い違いになっているのは珍しくありませんが、国道115号線という一本の通りの間に二つも国道を挟むとは思いませんでした。
恐るべし福島。

無事国道115号線が見えたら、右折して猪苗代方面に向かいます。
途中まではいやに交通量が多かったのですが、何のことはない、この通り沿いに東北自動車道福島西ICがあるからでした。
そしてほとんどの車がそこから高速道路に入っていき、残されたのはRVFだけ(笑)。
頼りないヘッドライトの明かりだけで、街灯もまばらな暗闇の国道を(昨日に引き続き)走ることに。併走する車もありませんし、心細いことこの上なし。

この先には磐梯吾妻スカイラインなどおもしろそうな峠道があったのですが、この漆黒の闇の中、知らない峠道を駆け抜けるなど恐ろしくてできようはずもありません。おとなしく国道115号線という表示にのみしたがって猪苗代湖を目指します。

昨日のような暗黒世界ではあるのですが、ふと見上げると目の前にはなんと満天の星空が!
若干時間に余裕があるようなのでほんの数分、RVFのエンジンを止め、イグニッション を切って星空を眺めてみましたが、あまりの綺麗さに本当に息を飲みました。
しかし星がきれいに見えると言うことはつまり空気は冷たいと言うこと。
だんだん体が冷えてきます。・・・寒くて息を飲むぜ・・・orz

途中、道の駅などもあったので立ち寄って暖をとったりすることは不可能ではなかったのですが、すでに夜の時間帯に突入しています。チェックイン時間の兼ね合いもありますから、もちろん寄り道はせず(あるいは営業していなかったかもしれません)、トンネルをくぐり、つづら折りの道を 突き進んでいきます。
するとだんだんと人の気配が感じられるようになってきました。
ガソリンスタンドが現れ、とうとう見慣れたコンビニまで現れてきました。
コンビニの明かりはとても人工的で、ものすごくホッとさせられます。

このコンビニが見えたら、そろそろ曲がる道が近づいているはず。少なくとも、事前に確認した地図上では・・・(^-^;;

そのコンビニを過ぎて見えてきた信号を右に曲がり、そこから県道7号線に入ります。
道路の真ん中に消雪パイプが通っていて、あぁここは雪国なんだなと思ってみたりしながら走ることしばらく。そこから今度は県道324号線を右折します。

ここを右折すると、今日泊まる宿、というか民宿はすぐそこ。今日泊まるのは民宿「ほりい荘」さん。

・・・のはずなのですが・・・。

チェックイン予定時間は19:00。現在時刻は18:30。時間も日付も間違っていません。しかし、どこを探してもほりい荘の看板が見あたりません。

おかしいなと思いつつ何度か往復すると、なるほど見つからないわけです。真っ暗な夜道の中、看板に明かりがついていないのですから。

おいおい、今日予約してるお客がいるのに、そのお客のチェックイン前に消灯かよ・・・。

このままでは入り口も分かりませんので、スマホでほりい荘に電話を入れます(ほりい荘の目の前にいるのに・・・)。呼び出し音から接続音がしたと思ったら、眠たそうな声で「はい?」。

本日19:00チェックインで予約していることを説明したのですが、まさか宿から「今日はもう来ないかと思った」と言われるとは!!

入り口はすぐそこだからとよく分からない説明をされた上に一方的に電話を切られてしまいました。

ダイジョブかしら、この宿・・・。

そしてこの不安は的中。はっきり言います。この民宿、泊まらない方がいいです、絶対。

福島県の他の宿泊施設は金額的にあまりに高く(復興支援なのですから本当はこうしたところでお金を使うべきなのはわかっているのですが・・・)、ちょっと二の足を踏んでしまいました。
その結果、2食ついてお手頃価格(というか、破格!)のこの民宿にしたのですがが、正直なところその破格だった金額分のサービスも受けられません。

ご飯はすでに出来合いと思しき総菜が冷めた状態で皿の上に置かれ、すぐに食事を済ませるように急かされて食事をすると、食事をしているのにお風呂は20時までだから早く入ってくれ、ときました。

味わって頂くような食事でもありませんでしたのでかまわないと言えばかまわないのですが、よく分からないままとりあえず目の前の食べ物を胃の中に押し込んですぐにお風呂に向かいます。

一応温泉とのことなのでそれだけが残された最後の希望。ところで「明日の朝は何時からお風呂に入れますか?」と尋ねたら、朝はお休みだそうです。めちゃくちゃです。その温泉も、湯船に発泡スチロールの蓋がされており(それは別にかまわない)、蓋を取ると発泡スチロールのかすが湯船に大量に浮かんでいま す。

お風呂に入っているのか下水に浸かっているのか分からない気分になってきてしまいます・・・。かろうじてシャワーは出ました(^-^;;

雰囲気的にも時間的にもゆっくり浸かれる状況には無いので、ひとまず暖を取ったら部屋にあがります。急な階段を3Fまで上り、部屋に入ったのですがこの部屋がまた猛烈に寒い!
ま、外があれだけ寒いのだからこれは仕方がありません(民宿は木造で隙間風が吹き込みますし)。
そしてそうした事態を打開するために、暖房器具というのがあるのです。

カチッ。ブーーーーーン。・・・プスン。

カチッ。ブーーーーーン。・・・プスン。

何度やってもヒーターのスイッチが入りません。ガスファンヒーターのようだったのですが、ガスが来てないのかしら?

やむなくヒーターはあきらめて布団にくるまることに。マヂですか・・・orz

しかしこの布団。
これががまた湿っていて重いのなんの。
ゆかた、シーツ、枕カバーは洗濯済みのモノが用意されるのでちょっと安心ですが、この布団に寝るのはちょっと勇気がいります。しかしくるまらないと寒くて仕方がありません。ある意味、究極の二択です・・・(T_T)

幸いだったのは、周りに明かりがない上に音もなかったこと。私は明かりや音があると眠れないタイプなので、これだけは助かりました~。その意味ではぐっすりと休むことができそうです。

なんか、ちょっと失敗の多い旅になってしまっているような気がしなくもありませんが、とにもかくにも二日目の日程も無事クリア。

明日はもう東京に戻らなくてはなりません。
予定としては喜多方でラーメンをいただき、道中で実家・会社にお土産を買っていきたいところ。

さらに、できれば磐越自動車道から高速にはいるのではなく、少し下道を楽しんで東北自動車道から高速に入れればと計画していますが、果たしてうまくいきますかどうか・・・(^ ^;;

最終日に続く

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