第4回 復興支援の旅(東日本大震災東北支援)6:南三陸町志津川

復興支援の旅は、東北各地を巡り、現地で許す限りお金を落として来ることをテーマとしています。
あちこち巡る中で、必ず一箇所固定的に立ち寄っている場所があります。
それが、南三陸町の志津川。

IMG_1763.JPG

少し前のイラクや今のシリアのような、ありとあらゆるものが破壊され尽くした彼の地が、どのように復興を成し遂げて行くのか。
その定点観測地点として定めたのが、たまたま南三陸町でした。

そして、上の写真が、今の南三陸町。

復興したとは全く言えません。でも、その土台となる、地盤のかさ上げなどは着実に進んでいました。

観光目的ではないのですが、正直な所、今の南三陸町は一番見るものがないかもしれません。
結局、震災の爪痕が無くなって行く、つまり復興が進むに連れて、訪れるべき理由が少なくなって行くのかもしれません。
もちろん、現地の人の生活はまだまだ大変でしょう。
支援したいが行くだけの理由がない、それは現地の人が、震災遺構は必要なのかもしれないが、心情的に残したくないというアンビバレンスと対をなしているのかも知れません。

IMG_1764.JPG

そんな中、残っているのが南三陸防災庁舎跡。
何処かの高校が、バスで社会科見学?に来ていました。

復興のために取り壊されるもの、反対に保存されるもの。
でも、そうした人間の都合の脇で、その存在すら気づいてもらえない、忘れられた…否、知ってもらうことすらなかった存在が。

IMG_1761.JPG

これ、造花じゃありませんよ。
盛り土のために土砂を運搬するダンプがひっきりなしに往来し、そのため、街全体が砂埃にまみれ、そのせいで道端の草が灰色に染まっているのです。

IMG_1762.JPG

復興は、絶対に必要です。
でも、その陰でその影響にさらされ、でもものいうこともなく埋れて行く、小さい自然のことも考えないと、またいつか大きなしっぺ返しを食らうような気がしてなりませんでした。

そんな思いを抱えつつ、南三陸町を後にすることにしました。
夕方以降雨が落ちてくる予報ですし、今日の宿泊地、釜石に着く前にもう一箇所寄りたい所もありますし。

さりげなくロマンスを期待…なんか別にしてませんが、志津川の風景も含めて、少し肩透かしな気分を覚えてしまったのは、ここだけの秘密です…^_^;

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)