正直、どうでもいいことには変わりないんですが・・・

なんだかここ数日、巷を騒がしている(らしい)話題に、AKB48のナントカさんが異性の部屋に泊まったとかなんだとかいうのがあるそうで。
まー、ある意味一挙手一投足に注目されてしまうのが(仮にまったく芸がないのであったとしても)”芸能”人というものなのでしょうから、それはそれでマスゴミコミもその”芸能”人もそれぞれがきちんと仕事をしているということの証なのでしょう。

ってゆーか、わざわざ大騒ぎするようなことでもないでしょうに、と思っていたら、この話題はいつの間にか公序良俗に反していて、民法上無効(違法)なのではないか、という壮大なテーマになっているようで。

私自身はAKBに全く思うところはありませんし、あえて擁護しようとも攻撃しようとも思いません。先のリンクで言えば、「どっちでもいいじゃん、そんなの」という「冷めた」グループに属しています。
ただ、この「どっちでもいいじゃん」っていうのは、言い方を変えれば「そんなことでいちいちネット上のリソースを消費するようなことをするなよ」みたいな立場を表しているのではないかなーと思ってみたり。
といいつつ、こうやってBLOGにその件に関する私なりの見解を書き綴ってしまうあたり、なんだかんだいって私も結局ノせられてるわけですが・・・(^-^;;

で、そのAKBですが、私が知る限りでは「恋愛禁止(御法度)」というのがベースにあるようで、今回の件もこれが個人の自由を侵害する就業規則に該当するのではないか、ということでもりあがっているようです。
それがいかに軽い(Lights。≒くだらない?)ものであったとしても、権利(Rights)であるならば守るために戦わなければならないのでしょう。
であ・かんぷふ・うむす・れひと、ですね、イェーリング先生!
弁護士さんも大変です(でも、この問題にかこつければ、こうやってネット上でも騒いでもらえますし、弁護士さんの活動を広く世に知らしめる売名としては必要にして十分か!?)。
AKBの某さんの奪われた(と考えられる)権利(Rights)を回復するための、正義(Justice≒Right)の戦いですね。これは果たして、どのように「これからの正義」になっていくのでしょう。どうかこの点の「これからの正義の話」を教えて!>サンデル先生(笑)

と、そんな戯れ言はさておき。
確かに、恋愛は憲法が保障する個人の自由の範疇に間違いなく含まれるでしょうし(恋愛をする/しない/異性を対象とする/同性を対象とする など)、もしそれが何らかの強制力を伴った形で禁止されるのであれば、人権を侵害しているとして糾弾されて然るべきなのかも知れません。

しかし。

そもそもAKBという集団のあり方を考えたとき、「恋愛禁止」という条件はある必然性を持って掲げられていたのでは無いかと私には思えてなりません。
というのも、私にとってAKBとは、会いに行くことのできる身近なアイドル、とかいうキャッチコピーでアキバ通いのキモヲタどもを搾取するために結成された集団というイメージだからです(このイメージが必ずしも適切かどうかは自信がない。あくまで私のイメージ、ということでご容赦を)。
その存在意義を突き詰めて考えれば、キモヲタどもが彼らの内側にしか存在しえない脳内仮想現実において自分だけのアイドルとの恋愛関係を擬似的に体験できるようにするための、彼らの内側にだけ存在する欲望のはけ口に対して、より現実味を持たせるという意味での具体的なイメージ像という役割。
そうした役回りを与えられている彼女らに対し、搾取の対象であるキモヲタどもが彼女らを彼ら自身の恋愛の対象としてとらえることを難しくする彼女ら自身の「現実世界での」恋愛が禁止されるのは、彼女らAKBという商品価値の鮮度を長く持たせるためには(そしてそれは直接的にはキモヲタどもからできるだけ長く、また大量に搾取することができる状態を保つためには)当然の条件なのではないでしょうか。
だって、自分だけの世界で自分の応援するアイドルと恋愛シミュレーションゲームさながらに妄想に耽るためには、そのアイドルが自分以外の誰かと恋愛しているという情報は邪魔なだけでしょうからねぇ。
彼らだって、彼女らの中の特定の誰かに対して、「○○は漏れの読め」みたいな感情を持ちたいでしょうし(だって仮想的なものであってもそれは恋愛の延長線上にあるのでしょうから)。

こうした興行的な側面から見れば、「恋愛禁止」はそれなりに(商業的な)合理性はありそうです。

一方で、ではアイドルになりたい、という人の側から恋愛禁止を考えてみましょう。
アイドルになりたいという人の動機がどのようなものなのかは全く想像してみるしかないので圧倒的に見当違いかも知れませんが、その動機の中にもし「多くの人、特に異性、から注目されたい、ちやほやされたい」といったものが含まれているのであれば、その対象がキモヲタであったとしても、彼らからの熱烈な忠誠心を勝ち取るために敢えて実生活における恋愛(の話題)は禁止、という決断は全く荒唐無稽と言うこともなさそうです。
そしてこの場合、自らが自らの目指す理想のために自らで恋愛を禁ずるのであり、そこに何らかの問題(権利を侵害すると言ったような意味での)はないでしょう。
なら、さしあたってAKBの恋愛禁止が直接的に(表だって)問題となるような要素は見あたらなさそうです(ここで言っている問題とは、現実世界で行われる争いごとという意味での問題であり、法律上の文脈で違法性が考えられる、という意味での問題ではない)。
この条件は、集団とその集団に含まれる個人とのそれぞれにメリットがあるようですから。
従って、AKBでアイドルとして活動するために恋愛禁止の決断をすることも、その決断が本人の熟慮の末に行われたのであればとやかく言うことではないように思います(その本人が熟慮と呼べるような思考をできるかどうかという問題はまた別にあるでしょうが)。

ところで、恋愛はしようと思ってしたり、辞めようと思って辞めたりできる類のものでないこともまた事実。
ですから、最初は自分がアイドルになるために恋愛感情に縛りをかけたとしても、ある時フッとその縛りは解けてしまうとも限りません。こうなってくると、先の意味で今度は「問題」が持ち上がってきます。

さて、もし世の中の「アイドル」という存在がAKBしかなく、アイドルになるためにはAKB以外の選択肢はあり得ない、という状態であったのであれば、その独占的な状況下において、そもそも個人の自由に属するであろう恋愛を禁止するという条件は不当な条件である、と主張することも可能かも知れません。
アイドルを続けていこうと考えている間は、本人にはその発生のコントロールができない恋愛感情を押し殺し続けなければならない。そうする以外にアイドルとしていつづけることができない、ということであるならば、その独占的な立場を利用して個人の自由に含まれるべき恋愛の自由をAKBというグループが一方的に侵害することになり、なるほど今回丸刈りになった某さんを支援したくなるキモチも分からなくはありません。

でも、現実に目を向けてみれば、アイドルと呼ばれる職業はAKBしかないわけではありません。
グループは他のもありますし、自分だけのソロでアイドルとして活動していくことだって不可能ではないでしょう(移籍の難しさといった様々な困難はあるでしょうが、それは別に今回の件に限ったことではない)。

じゃー、なんでこんなに大きく騒がれるような問題になっているんでしょう?
それはもちろん、AKBという集団が現在飛ぶ鳥を落とす勢いのあるアイドル集団であるということもあるでしょう。それだけ人々の耳目を集めている、注目されているということですね。

でも、事の本質はそんなことではなく、その某さんがAKBというグループに入る際に説明されていた(のかどうかは知りませんが、周知の事実としてそのように掲げられていた)恋愛禁止というマーケティング上の、つまりビジネスとしての条件を飲んで加入したそのグループ内の規約を「自らの考えに基づいて」破るという決断を下したにもかかわらず、AKBというグループにとどまりたい、とどまらなければアイドルという職業を続けることはできないと考えていることにあるのではないでしょうか。
その某さんがソロでやっていけるほどのスター性を持っていないとか、別グループへの移籍は様々な障害があって難しい、だからそう言う方法でアイドルを続けることは難しい、という現実的な障害の多さから来る可能性の低さを言っているのではありません。
そうではなく、彼女自身がアイドルのあり方を考える中で、そうした選択肢は最初から除外され、まずは「AKBありき」で思考がスタートしているのではないか、ということです。

丸刈り、というその方法の是非はまた別に論じる必要はあるでしょうが(そもそもどうして謝罪のあり方の一つとして丸刈りがあるのでしょう?)、決められた約束事(別にそれを受け入れる以外に選択肢がなかったわけではないでしょう?)を守らなかった事によって(それも自らの行動によって)、AKBという商品価値に傷を付けたのであれば、何らかの形でペナルティが課されるということ自体におかしな点は見あたりません。
何度も言うようですが、結局の所問題の中心はその丸刈りになった某さんがアイドルのあり方としてAKB以外の選択肢を想定していないところにあるのではないでしょうか。

それは言い換えれば、彼女自身が自らの商品としての価値を、AKBブランドをまとっていなければさして高いものとはなり得ないということを認識していればこそなのかも知れません。
しかし、もしそうだとするならば、そのAKBブランドの中心である、キモヲタどもの恋愛シミュレーションの対象という位置づけにそもそも違反するべきではなかったのではないでしょうか。だって、AKBブランドにとって、「恋愛禁止」は絶対的に必要な条件だったのでしょうから。
それでも、先に触れたように恋の始まりは本人の意識のコントロール下にあるわけではありません。AKBブランドを身にまとっているその時に、恋心が芽生えてしまうこともあるでしょう(今回のように)。

この時初めて彼女は一方(職業としてのアイドル、というよりAKBというブランドといった方が適切か?)の自由と他方(恋愛)の自由とを天秤にかけ、いずれを取るか(もしくは両方を取るか、両方を諦めるか)の重大な選択を行わなければならなくなったわけです。
そして最初の選択は、両方を取る、ということだったのでしょう。スクープされた、ということはたぶん恋愛は人目につかないようにこっそり行うつもりだったのでしょうから。
しかしマスゴミコミの徹底的な取材(?)でお泊まりが周知の事実になってしまったとき、彼女はもう一度二つの自由を秤にかけることになったわけです。
そして今度は、前者すなわち職業としてのアイドル、もっと端的に言えばAKBブランドを選択した、というただそれだけのことのはずなのです。

繰り返しになりますが、その選択に伴うペナルティのあり方として丸刈りという方法が適切であったのかどうかは私には分かりません。ただ、商業的な面から見て合理的な条件(そしてそれはこの某さんも理解していたはずです)、しかもそれはAKBブランドの根幹をなす条件でもあった、を破ったことに対して、引き続きそのブランドをまといたいのであれば何らかのペナルティが課されるのはおかしな事というわけではないと思うのです。

各所で騒がれている内容が、丸刈りという謝罪のあり方についてであれば、私も興味本位だけでこの件を見て終わったのでしょうけれども、ナゼか人権を侵害しているのではないか、みたいな話になっていて、AKBという限られた集団の中でのみ課せられている恋愛禁止という条件がホントに人権侵害と呼べるような類のものなのかどうか、それは人が他人と関係を築くに当たって課されるなにがしかの自由の制限の一パターンであって、普遍的な意味での人権侵害(人権の内容に普遍性があるのかどうかは疑わしいと私は思いますが)と呼べるようなものなのか、はなはだ疑問に思ったのでここに書き綴ってみたわけです。

くどいようですが、実際にAKB以外でその某さんが活動を続けていくのは難しいであろう事は私も理解しています(それも失礼な話ではあるのですが)。
だからAKBにとどまるという選択をした、その選択は尊重されるべきでしょう。でも、議論の枠組みを考えたときに、AKBか恋愛かの二者択一で思考ルートが”あらかじめ”決定されていたのではないか、というところに一番の問題が潜んでいるのではないか、というのが私の分析なわけです。
問題の構図は、仕事と結婚(ヒゲとボイン、ですな)の間で選択を行わなければならないというケースに類似しているように思います。
このとき、今回の某さんのように、仕事を取って結婚を諦めるか、結婚を取って仕事を諦めるかという二択がもっとも想定しやすいルート選択でしょう。でも、第三の選択だってあることは、容易に想像できることです(その選択肢が現実的に容易かどうかということではない)。
それは、たとえば転職して両方(仕事と結婚)を手に入れる、とか、結婚のあり方を仕事に則したものに変えてみる、とかです。
今回の某さんの思考の中に、こうした複数の(二択以外の)選択肢の可能性の余地があったのかどうか。それは某さんの思考のレベルにも依拠することですから、今回の某さんの決定を一概にAKBを取り巻く環境だけに依存させるわけにもいかないでしょうけれど、仮にも一時フィロソフィックにリベラルだった身としては、この点がとても気になって仕方がなかったんです。

ということで、こんなほとんど人の来ないBLOGですから、これはあくまで私の独り言(つぶやき)みたいなものということで、もし訪れてくれる方がいらっしゃったら(毎日数十名の来訪があるようですが)、普通にスルーしてください。

2:00AMの投稿ですから、私の思考にもまとまりが多分無いと思いますので・・・(^-^;;
ま、たまには時事問題(?)にも触れてみようかなーという軽い(Lights)なノリの投稿と言うことで。
決して他意はありませんので!

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